消えない怒りは、心の素数を見つける

怒ってもいいけど、怒りに囚われるな。これは私の尊敬する方々の言葉だ。

 誰でも心に傷を負うほどの怒りを持ったことがあるのではないだろうか。そして、その怒りに翻弄されたりしないだろうか。感情の中でも怒りからくるものは厄介で、自身の心に長期滞在してしまうからだ。だから、長く自分自身も周りも苦しめてしまう。

 私には人生における3人の尊敬する師がいる。勝手に師と言っているだけで、弟子入門した訳ではなく、リスペクトであり、人生のバイブルの様な方々なのだ。

 3人の師は、それぞれに携わる世界が違う。社会的役割も地位も違う。ただ一つだけ同じと言えるのは、一流でありプロであり素晴らしい人格者という事。意識や視点が一般と違う。考えや答えの出し方も違う。ただ、それぞれ出した答えが同じ頂点を指している。

 だから、私は心に問題を抱えた時や、純粋にいろいろな疑問に思った時、どう考えたら良いかを3人の師に教わり、私なりに解釈して前に進む。


 人はあらゆる『社会』なるグループに所属している。それは会社であったり、地域コミュニティや習い事、学校、近所、友達、最小単位では家庭であり、家族。そこには、自分以外の人との接点が多く、個々に持つ事情も違う。

 全てをさらけ出して付き合えれば、気苦労もないだろうが、感情や見栄、理想とする自分や他者に希望する気持ち、複雑な承認欲求などが絡み合う。だから、喜怒哀楽の他に恐怖や嫉妬など様々な感情に振り回され、あらぬ言葉や行動で自身を損なうことになる。

 これは3人の師に、『対人』に対して問題が起こった場合の話を聞いたものだ。確か、他人と優劣をつけたがるのは何故か?などの内容だ。

 1人の師曰く、「もし劣等感や嫉妬を持っているなら、同じ土俵で物事を考えるから、比べる結果になるんですよ。相手と自分は同じ境遇でも同じ才能でもない。そこに行きつくまでの努力も違うでしょう。自分の努力としたことに自信を持てばいい。」と。

 1人の師曰く、「『自分はどうなんですか?』と自問自答して、不満を持つ前に自分は最低限ではなく最高に頑張りましたか?頑張ったなら『比べる』ではなく、胸を張り、自分を褒めて次に良い結果が出せるよう切り替える。」と。

 最後の師曰く、「どろどろとした感情の渦中にとどまろうとしないこと。迷ったり悩んでいるということは、一歩出ていて『そう考える己がおかしい』と気が付いている。ならば、もう一歩下がって安全な場所で考えてみなさい。そうすれば、自身と相手が見え、互いに努力した部分も見えてくる。もし、相手が勝っているのであれば称賛し、自分に何が足りなかったのかが見えてくる。」と。

まるで問答のような答えだ。きっと、悩みを抱えている方が読んだら厳しいなとか、キツイ言い方だなと思われるかもしれない。けれど、率直で飾らないアドバイスは、師の経験からくるありがたい教訓なのだ。

 これは、それぞれに違う場所で聞いた時の答えだ。言われた事を理解すると同じ事を示唆している。そこでもう一つ別件を突っ込んで聞いてみた。

人や会社、所属しているグループに裏切られ苦しんでいる子がいると。

 1人の師曰く、「裏切った人間は人間。その子はその子。『裏切られた』といつまでも考えていることが、次に進めなくして自分を裏切っていますね。自分を裏切らないことの方が大事じゃないですか?」

 1人の師曰く、「裏切るような相手との縁が切れて良かったじゃないですか!気持ちを引きずって悲しむほどの相手じゃないのなら、自分が良い仕事をする為にも切り替える方がいい。ここが(胸を指して)モヤモヤしていると、どこに行っても良い結果を生み出せない。あなた、そんな人のために自分の役割を放棄しちゃ勿体ないと言いますよ。」と。

 ここまで聞いて、私は『気持ちの切り替えが必要』と答えを出したが、どう切り替えるかが分からない。そして、それは悩んでいる友にしかその苦しみは分からないわけで。

 最後の師曰く、「どちらにも原因・問題・言い分はあったのだろうが、裏切られた方は実害もあるなら、対処するためにも自分を保つことが最優先だ。怒りや悲しみ苦しみを抱えている心では物事が歪んで見えて、本来の目に映るものとかけ離れて見えたり感じたりする。」と。

 そこまで聞いて、気持ちの切り替えが必要なことだとは理解できたが、方法が分からないと聞いてみた。

最後の師曰く、「湖面に鏡のように映る景色を見たことがあるか?心の澄んだ状態はそれに近い。どちらにも言える事だが、裏切りの事実と裏切られたと思う心は別々のところにある。

 相手がこう言ってきたから、相手がこんなことさえしなければ、こんなことさえ言われなければ、そういった心の思いは自分の内側にあるもの。だから、過去のものであって、今相手がしたものではない。

 自分が作り出しているものだからこそ、思い込みで相手との結果に対して、責任転嫁したり相手を裁くものでもない。

 先ずは、相手に怒る自分の中の『大義名分』を探し出して切り離すことだ。やった方もやられた方も、自身が作り出した『被害者』という錯覚で相手を見誤っている事が繰り返されて大事になる。大事になったら振りかざした拳の落としどころは、自分を守るために使われ、相手を傷つけることになる。

 肝心なことは、自分の作り出した感情に惑わされず、嫉妬・怒り・依存・期待そういった相手への欲求を取り払ってから、今置かれた状況を見据える事。分析をすること。そうされた事によって何が変わり、何がどうなったのか?事実だけを見据えることで、見えてくる真実を受け止める。そうすれば、結果も違った考えで受け止める事ができる。

 実際、その子は自由になったろう。」と。

 そうなのだ。あれほど友達グループ間で悩んでいた友は、やっかいなグループ意識から解放され自由な状態になっている。そしてそれに気づかず、友の枠組みで悩んでいる。

 心とはなんと厄介で要らぬ化け物を生み出すのか、そして、将来自分が彼女のような不利益を被った時、師に言われた事を実践できるのか不安になった。そんな私の目を見て師はほほ笑んだ。

 最後の師曰く、「誰でも『被害者』『加害者』になる。ただ、その時に感情を取り払って、本当に不幸せかを考えてごらんなさい。やられた時より、今の状況が穏やかな環境や状態なら不幸せと受け取る必要もないだろう。長く恨みを持つことは、周りを不幸にする。そうなると今度は、自分が他の誰かの『加害者』になってしまう。そうなる前に気づくことだ。

 そして、自分の状況を認識できたら、今度は沸き起こる感情に『反応』してやるな。それだけでいい。

 ただ穏やかに自分の心に映る景色を有難く見つめて、日常に感謝することだ。」と。

 確かに、怒りや憎しみなどの負の感情を持つことは、持ち続ける本人も病むし周りも巻き込んでしまう。3人の師は、表現は違うが、自分を大切にする根本的なやり方を言っている。


 今でも対人関係で悩むと、私はこの教訓を思い出す。

 厄介なのは自分の中の被害者意識で、自己憐憫に浸るそれを『ただの出来事と結果』まで削っていく。それにどれだけの感情を分析して外すことか。

 しかし、その作業に慣れていくと、ちょっとした気づきで日常での心の平和を取り戻すことができるのだ。答えの出し方如何によっては、自分も相手も落とさずに円満に心の中だけで解決出来てしまうものもある。ゆえに、やれるようにしておいた方が心が楽だ。

 その作業は素数を見つけていくような、素因数分解で最後の値を求めるような作業に似ている。そして、その導き出された値は美しい。

 3人の師から学んで気づいたことは、誰も相手を悪いと言わない。言い方はそれぞれだが、

『犯罪や本当に悪いことは当てはまらないが、人と人が交流する中で起こった衝突のような問題に、どちらが悪いとジャッジメントしても意味が無い。』と。

そして、最後に。

問題をどのように捉え、どのように対応するかで結果が違ってくる。そしてその者の心の品格も決まる。』と、締めくくっていた。


 些細なすれ違いも人と人の間には沢山あると思うが、願わくば、何が起こっても動じない自分でありたい。

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