物陰に潜む黒光り?!
昔から私はビビリである。いきなり現れる物にかなりの確率で驚く。出てくると分かっていても、驚くのだ。例えば、猫がカーテンの後ろに潜んでいると分かっていても、バッと飛び出されると、ドキッとして驚いてしまう。
幼少期からそうだったのかと言えば、良く分からない。弟がダンゴムシ、カミキリムシ、クワガタ、カマキリ、カブトムシと昆虫採取の王道を進んでいる時、私はアゲハチョウの幼虫やカブトムシの幼虫を見ているのが好きだった。とりわけ、蚕の幼虫を育てたりもした。大人になった今でも庭木に来るアゲハチョウの幼虫は蜂の餌にならないように擁護している。ただ、如何にそれらの幼虫が好きでも、蛾の幼虫やら他の昆虫までを可愛いとは考えられない。(ここで蚕は蚕蛾だよ!というツッコミはしないでもらえると有難い。)
そして、私が一番嫌いな昆虫がいる。いや、昆虫と呼べるような生き物なのか、掃除をしていても蔓延る黒い影。通称Gと呼ばれる生きた化石。石灰紀に誕生して白亜紀で現在の形をとった恐るべき名前を出すのも憚られるヤツ!
愛猫と同居している私達夫婦にとって、ヤツの出現率を低める為にブ〇ックキャップなるものを、台所や愛猫の手が届かない場所に配置している。
そして、愛猫のご飯を死守するべく、器は私達の見える位置に設置している。おかげでここ数年はヤツを見かけない。きっと、ブ〇ックキャップの効果で徐々にヤツの巣が無くなってきているのだろう。
安心しきっていたある日の夕方、炒め物の野菜が鍋の外へとすっ飛んだ。勢いあまって脱走したしめじが飛んだ方へ視線を向けて手を伸ばす。床に転がったしめじをそのままにしておくと愛猫が間違って食べてしまう危険があるからだ。
「?!」
しゃがんでしめじを取ろうとした時に、可動式の小さな棚の下に何か黒く光っているものを見つけた。
まさか?!
慌ててしめじを取って処分すると、鍋に蓋をして火を止める。メインの生姜焼きは作っているから大丈夫と、夕食の準備がほぼ終わっているのを頭で確認しながら棚から距離を置いて覗いてみる。
棚の下には・・・何かいた!黒い、何かだ。
時計を見れば、17時37分を指している。旦那が帰ってくるにはまだ早すぎる時間だ。よもや数時間を此奴と過ごす度胸は無い。またもや、あの日の悪夢が蘇るのかと、私は愕然と立ち尽くした。
今から数十年前、アパート暮らしだった私達は、広めのキッチンに3つの部屋がある物件を借りて住んでいた。自然豊かな土地だったので、夏の夜には虫の音が鳴って風流だ。
日もとっぷり暮れたある日、洗濯物をベランダに干したままだったことに気がついた私は、慌てて窓を開けて洗濯物をとり込んだ。しっかり埃を払うように叩いて、居間の壁フックに移して窓を閉めようとしたその時!黒い何かが飛んで入って来た。
急いで窓を閉めたが間に合わず、飛んできたそれに侵入を許してしまったらしい。窓を閉めつつ、侵入虫の確認をしようとしたが見当たらない。見失ったのは困ったが、この辺りは夜の網戸にクワガタやカブトムシなどが来てとまっている時がある。それならば、触れるし対処が可能だ。
部屋を見まわしつつ洗濯物をたたもうと手を伸ばした瞬間、悲鳴を飲み込んだ。
「ご・・・ご・・・・」
生物名を呼ぶのも憚られる物体が目の前にいた。物干し物の縁にとまって此方を見ている。新聞を丸めて成敗しようと構えたとたん、あろうことか、ヤツはお尻を高く上げ羽を広げた。
飛ぶぞぉ~!
挑発するように羽を広げる姿は、恐怖でしかない。
「ひえぇぇぇぇ!」
私は悲鳴を上げながら台所に逃げ出し、居間へと続くガラス戸を閉じた。まるでヤツの声が表現されたかのような仕草に、私は負けた。
真夏の居間をGに占拠されたこの状態は非常事態に匹敵する。クーラーは居間に取り付けてあり、ガラス戸を閉めてしまうと台所は常夏になる。
今になって状況的に不味い事態だと気がつき、慌てて戻ろうとガラス戸を少し開けて中を覗き見ると、物干しの縁にとまったGが冷風に触角を揺らしながら涼んでいる。しかも、私の視線に気がついたヤツがまたもや羽を広げるではないか!
「完全に締め出された・・・」
プルプルプル・・・・・
愕然としていた私の携帯が鳴った。主人からだ。今から帰るという内容だったが、私の態度で「何かあったのか?」と聞いてきた。
「Gに居間を占拠された!」
「へ?」
「ヤツは居間で涼んでる!私を暑い台所に締め出して!」
戦いを放棄して自分で締め出されたのでは?というツッコミはご勘弁願いたい。
私の切羽詰まった声で状況を把握したのか、主人は早く帰ると言ってくれた。まあ、電車とバスを乗り継いでの帰宅はどんなに急いでも1時間以上はかかる。
長い長い、Gと私との攻防が始まった。
・・・・・
電話があった時間から『居間を覗いてはGに脅され断念する』それを何回も繰り返し、人間としてヤツに心を挫かれた頃、主人が帰って来た。
「ずっとここに居たの?!」
半ばグロッキー状態で壁に寄りかかり、白く燃え尽きたようになっている私を見て驚いている。悲しいかな、この2時間ずっとGとの攻防に負け続けた私は、汗だくになりつつ奇妙な緊張感の応酬に気力・体力・精神力をすり減らしていた。
「何処にいるのゴキブリ?」
「名前出さなくていいから!Gは居間に入ろうとすると羽を広げて威嚇するし、涼んでるし。」
そう言いながらゆっくりガラス戸を開けると、涼しい風に涼んでいたGが私達に気がついて羽を広げている。ガラス戸を閉めながら助けを求めると、丸めていた新聞を手に取り主人は居間に入っていった。
バシーン!
音がして程なく主人がガラス戸を開けた。涼しい風が辺りに充満してくる。
「無事、仕留めたよ。」
瞬殺?!
愕然とする私に「脅すなんて凶悪だね~」と言いながら、部屋着に着替えている主人に恐る恐る尋ねる。
「G、洗濯物についた?」
「いいや、縁にとまっていたし、水平に撫ぜ払ったから大丈夫。」
何者?!
涼やかな笑顔に、彼は剣道初段だったことを思い出す。
ま・・・マジっすか?!剣道初段・・・恐るべし!
そんなこんなでGによる居間占拠の籠城事件は幕を閉じた。
過去の記憶を思い出し、ふと我に返る。人間は成長するのだ!
「もう、昔の私とは違う!」
・・・と思いたい。あの後、愛犬と暮らすようになってGが出た時、死守するため退治したことがあった。今は愛猫を守らなくてはならない。猫は動くものに喜々として反応するからだ。
今は新聞をとっていないため、リーチのあるものはスリッパしかない。恐ろしく短く感じるスリッパを片手に、意を決しって可動式の棚を動かした。
「・・・いない?逃げた??」
可動式の棚の下にGの姿は無く、少しの埃と丸いブ〇ックキャップがあるだけだ。自分が昔の回想に囚われている間、ここぞとばかりに逃げたのだろう。
すごすごと掃除機を出して、折角だからと埃を吸おうとした時閃いた。
「この位置・・・」
ふと、ブラッ〇キャップのある位置に目が留まり、可動式の棚を戻してみる。そして合点がいった。それと同時に、どれだけ過去のトラウマは根深いのかも思い知る。
「Gじゃなく、ブラック〇ャップだったとは・・・」
恩人ならぬ恩物をあろうことかGと見間違えてしまうとは。がっくり項垂れるも、Gはいなかった。ブ〇ックキャップは本来の働きを全うしてくれているのだと、ホッとした。
「確かこう言いうのを、シミュラクラじゃなくて、パレイドリア現象っていうんだったわ」
昔何かで知った現象を思い出す。
*パレイドリア現象:視覚、聴覚などの感覚で他のものを別のものと錯覚して誤認すること。
人間は割とおおよその感覚で生きている。しかしそのおおよそも、危機に晒されていると脳が感じとった時に割り出される答えは、存外、パレイドリア現象のように錯覚に陥っていることもあるかもしれないと。
平常心を保つことは難しいのかもしれない。けれど、気づいた時に軌道修正すれば、それは平常だと言えるのかもしれない。
