目の前の珍事と天を劈く悲鳴

 予想しない出来事は日常に起きる。そして、奇跡もまた日常に起こるのだった。

 花冷えの季節を終え、初夏を思わせるような陽気を感じる今日この頃。風も穏やかな日だったので、私は早々とベランダに洗濯物を干し始めた。

 私は屋外に出る時に必ず行うことがある。これはもう、ルーチンと言っても過言ではないものなのだが、上下左右の安全確認だ。「何故家で安全確認?」と思う方もいるだろう。この確認は私の必須項目なのだ。

 昔から私と友達は蜂に出くわす事が多い。奇妙なもので、友達は髪留めに蜂がとまることが多く、私は出合頭にコツンとぶつかることが多いのだ。ゆえに、蜂の出回る時期や時間帯は白い帽子が必須アイテムになる。ぶつかっても、白いポールか看板だと思ってくれれば難を逃れることができるからだ。

 そんな蜂と出くわす確率の高い体質?の私はベランダに出る時も注意を怠らない。すると、低重音と共に目の前を通り過ぎるオオスズメバチの姿。一際大きく見えるのは、通常の蜂をセスナあたりに例えるなら、彼らが大きな旅客機並みの大きさをしているからだろう。

「危ない危ない。ニアミスだった。」

 家の近場は公園の為、家の周囲は格好の狩場なのだ。決まった時間に偵察に来る彼らと出くわさないように気を付けるのが日課だ。一回巡回してしまえば、安全時間になる。規則的な行動をとる彼らのテリトリーに踏み込まなければ、此方に害を与えることは無いのだと。

 こんなにも蜂に怯える生活を強いられるのは、彼らは必ずしも目に映ったものをスルーするとは限らない事を知っているからである。過去に何回も蜂と遭遇したことがあったが、あの日だけは忘れることが出来ない1つの記憶がある。


日差しの暑い昼さがり、木綿性の帽子を深くかぶって家路を急いでいる時のこと。何やら聞き覚えのある低重音が聞こえ、私はすぐさま周囲を見渡した。しかし、何もない。

ブーーーン

 まさかと思い、音のする方へ少しだけ顔をあげると、私をジッと睨みながらホバリングしているオオスズメバチと目が合った。

カチッ! カチッ!

 ヒュッと息を飲んだ瞬間・・・相手に敵認識された事を認識した。彼らが口をカチッカチッと鳴らすのは、警告音で攻撃態勢に入る時だからだ。このまま刺されるか、タンパク質分解液をかけられるかのどちらかである。完全にLock-on状態だ。

やばい・・・詰んだ。

 しかし、あまりにも美しく空中で微動だにしない姿は、違った意味でも恐怖を超えて息を飲んでしまう『美』がそこにあった。しかも、彼を怒らせる行動を私は取ってしまったのだろうか?シャンプーやリンス、服の柔軟剤が気に障ったのだろうか?そんな回想を思う時間がそこにはあった。

 そこまで考えて、ハッと我に返った瞬間!

きゃぁぁぁぁぁ~~~!!

 天を劈く様な悲鳴が辺り周辺に響き渡り、近くの家のドアと遠くのマンションの窓が勢いよく開く音がした。

「今の何?悲鳴?超音波?・・・・どうしたのそんな所で寝転んじゃって?」

「は・・・へ?」

 視界が反転して自分が叫んだ瞬間に尻餅をついたのだと理解した。それでも、犠牲者を増やすわけにはいかない。オオスズメバチを探しながら、心配してくれた相手に叫んだ。

「こっち来ちゃダメ!オオスズメバチが居るから!」

 心底、痛くないように刺してくれと願いながら、身体のあちこちを叩きながら確認していると、視界の端に少し離れた場所をフラフラと飛んで去っていくオオスズメバチの姿を見た。

「さ、刺されたの?」

「セ・・・セーフ?でも何でフラフラ?」

 飛び去った姿を確認していると、ご近所さんは心配そうに声をかけてくれた。尻餅をついた痛みだけだったので刺されていない事を告げると、ホッと胸をなでおろしている。

「良かったわねぇ。何事かと思っちゃったわよ。」

「奇跡的に無事でした。目の前でホバリングしてカチカチ言っていたのでダメかと思いましたけど。」

 そう告げながら立ち上がると、肘を擦ったのか血が出ていることに気がついた。もし、オオスズメバチに刺されていたら、こんな痛みではすまなかっただろう。

奇跡だ・・・

 今更ながらに、今起こった出来事を振り返る。普通に歩いていてオオスズメバチと出くわし、あまつさえ、そのオオスズメバチの目に留まって警告される。しかも、私と視線が合うまでホバリングで空中停止しながら、私との距離を保つミラクルな技まで見せたのだ。そして、私の音波のような叫び声を真正面から受け、フラフラとなって?戦意を失くしてくれたのか?

 もしそうならば、これを奇跡と呼ばずして何というのか?

 あまりの状況に驚きと脱力とで立ち尽くしていると、遠くのマンションから何人かが窓を開けて此方を見ている。その状況にも感謝だし、無事だったことに感謝しつつ・・・

 マンションの方を向いて『大丈夫でした。ありがとうございます。』と手を振り、大きくお辞儀をした。

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