「自分にできること」を探す仕事

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これまでどのような仕事してきましたか ?

 具体的に答えるなら、学術事務や図面描き・プログラムやHP作成・家政婦といろいろな職種を経験しました。信条的に答えるなら「自分にできること」を探して行動していくこと。この考えは幼少期に培われ、就職した会社で私の信念へと育ったものです。


 今より子供が多く近所付き合いが盛んだった時代。第二次ベビーブームで本当に子どもが多く、漫画の『タッチ』に出てくる子供たち用のプレハブ部屋に憧れてか、借家の敷地などに許可をもらってプレハブを建てている家が多かった頃のことです。

 子供たちは自分の面倒を見てくれる年長者を『先生』と呼んで、宿題を見てもらったり、親が帰ってくるまで遊んでもらっていました。私の育ったご近所環境が、既に『子供たちによる学童保育』のような場が整っており、3~5歳児を皆で面倒見る『保育』の場もそこにありました。

 中学生は小学生を。子供はみんなでみて手に負えない部分を、中学生が母屋にいる親に報告して見てもらう。完全な分業制の『仕事』を楽しんでやっていました。その分、親たちは買い物や家事に専念でき、お茶を楽しむ余暇があったので、月に1~2回ほど夕食会を子供たちに開いてくれたのです。

 そして、その子供の遊びは、近くの畑を営む農家さんにまで飛び火して、ナスやキュウリやトマトなどを支柱に結ぶ時期に声をかけてくれるようになりました。

 始まりは、中学生の「課外学習させたいんだけど、遊びで子供たちに紐結ばせてくれる?」の一言。最初、農家さんは3~5歳児にできないだろうと思っていましたが、器用にそして良い具合に、教えられた通りに結ぶではありませんか。中の段を小学生が結ぶので、腰を痛がっていた農家さんは大喜びで、ジャガイモやキャベツ、ニンジンをお礼にくれました。

 この農家さんのお礼に大喜びしたのは親達でした。子供たちを大いに褒めて、家の前の私道(袋小路)にゴザを敷いてテーブルを広げ、子供が好きな食べ物を食べられる宴会を開いてくれました。

 今でも、なぜそんな環境になっていたのかわかりませんが、子供たちが意欲的に自分に出来る事を探して行った結果が、周りにゆとりを作っていたのは確かです。


 結果、アルバイトであったとしても正社員であったとしても、そこから学んだ経験は次の仕事に生かされ、『自分にできること』の幅を広げていったのです。

 学生時代のスーパーのアルバイト(ほぼ全売り場経験)を経て得たスキルは、後の家政婦や咀嚼補助食を作る時に発揮されました。ホームページ作成やAccessやVBAのプログラムなどの仕事も、他の職業で資料作成に活用できたり、得たスキルの再利用が充実していく。

 常に『今何ができて、できないのか。何を学んだら、その先に進めるのか。』この自分理解が一歩ずつ前に進むための大前提で仕事での信念です。

なので、表題をあのようにしました。

 

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