宿題と真夜中の小人職人

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これは中学校の夏休みの宿題の話。『きまぐれな小人職人』のお陰でとんでもない目にあい、宿題を早く終わらせるようになった話だ。

 その頃の私は、一般的な学生がやりがちな、夏休みの宿題を最後に追い込まれてからやるタイプだった。山のように出された英・国・数・社・理のプリントを3日間で仕上げたのだが、最後に美術の模写が残っていたのに気がついた。

Adobe Expressより

 その当時の美術は、好きな画家の作品を碁盤の目のように線を薄く引いた紙に書き写し、模写する技法を学ぶ授業だったため、私はミレーの『落穂拾い』を選んでいた。鉛筆模写はとても綺麗に出来、先生に褒められたのだが色塗りのセンスが無い。

しかも、宿題の提出は明日と焦っていたため、のっぺり薄く塗っただけで力尽きて寝入ってしまった。

塗らないよりかはましだろうと、半ば諦めていたのもある。しかし、私に奇跡が起こった!

「いつ塗った・・・私???」(この頃からオメデタイ頭なんです。)

突っ伏して寝た目の前に、綺麗に絵画チック(絵画なのだが)に塗られた『落穂拾い』がそこにあった。自分が塗ったのか?と驚いて見つめていると、父が部屋に入って来た。ライトディスクのある私の部屋は、父の仕事場でもあるからだ。

「何やってるんだ、学校行かないのか?」

絵を持ったまま惚けている私に、父が促してくれたが「お父さん、私天才かもよ。寝てる間に出来上がってた!」と話すと・・・物凄い沈黙の後に「夜中に小人職人が来てた」と言った。

「小人職人?!!すごっ!

そんな小人職人居るわけがない!

人は実際に技巧を凝らした作品を目の前にすると、おかしな嘘まで信じてしまう傾向にあると思う。この時の私は、不思議な事が起こったくらいにしか考えていなかった。それほど、頭がお花畑だったのかと言われてしまうと、否定できないのがちょっと悔しい。でも事実だ。

問題は誰が仕上げてくれたか?より、このままこれを提出してしまって良いのか?である。

そして、何も考えていない私は、それを学校に提出してしまったのだ。驚いたのは先生だった。下絵の段階で高評価を貰っていただけに、色付けの技巧が予想以上の評価になってしまったのである。

無論、それから美術の先生は事ある毎に、美術部で水彩画を描こうと言ってくるのだが、塗った本人ではないので断るしかない。

そんな、事の顛末を見ていた母は見かねて「お父さんが楽しそうに塗ってた」と種明かしをしてくれた。

「誰かが塗ったなんて言わなくても、俺が塗ったですむのに。なんであんな言い方」

母の言うとおりだ。きっと、色センスのある父の気まぐれで『目の前の壊滅的な水彩画?』を放置できなかったのだろうが、なぜに小人職人と言ったのか。

きっと、二度目は無いという事なのだろうと理解した。なんせ『職人』なのだから、技術は盗めと。父の血が半分入っているのだから、出来るだろうなどとは思えない。けれど、近づける努力はできる。

そして、返って来た『模写の落穂拾い』を見て、その日から水彩画のタッチを目に焼き付け、どう色を重ねたらどうなるのかを研究した。

そして学んだ成果は、進学先で披露されることになったのだ。父のタッチを模写して得た技術はかなりの精度だった。ちょっとした父の思いやりという職人魂が、私に火を点けて『学んで精度を高める』というカテゴリーを与えてくれた。

これは、今でも私の技術習得に欠かせないもので感謝している。

今は『プレパト』という素晴らしい番組で、水彩画の技法を惜しみなく披露してくれているが、当時、もし番組がやっていたら食い入るように見ていただろう。

今の時代はとても恵まれていて、いろいろな事を学べるツールや情報が揃っているので、大変羨ましいと思う。

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