どのように引退したいですか ?
会社やグループからの引退なら、役割を終えた時に身を引く。
そして、仕事でもなんであっても、役割を終えた時に自分がその場を退く方が良いかは、状況が教えてくれる。
どんなに親しくしている職場であったとしても、後続者が育たなくなったり、周りと自分が依存関係になりそうであったり、負の連鎖のような場合は人生において見えない軌道修正が入るようにも思える。
その軌道修正は本人や周りの意識とは関係なく、良くも悪くも身を引く状態に立たされる。良い状態の引退であれば心もついて来るだろうが、昨今のこの世の中の状況では間の悪い状況で身を引かなくてはならない状況に立つこともある。
この辺に関して、私は1つのポリシーがある。引退には様々な形があるが、円満退社、依願退職、契約継続を断念、解雇、自分から申し出るもの、せまられるもの、どれであったとしても、そういった『引退』の終止符は、『役割の終わり』と解釈している。
過去に、創始者に不思議なキーワードを渡された。それは、大変ありがたい言葉だったが、通常その方が当人たちの前で明言する言葉ではないからだ。その言葉には、額面通りの意味合いともう一つの使い道が隠されていた。
その方からは『言葉にしない裏読み』で何かを遂行するやり取りをしていたので、1人になった時にキーワードを復唱して驚き、途方に暮れた。
組織の中に在る時は言葉にせず、支えとして在ること。次代の人の心が前を向いたらタイミングをみて離れる時に使えと。
しかし、それはとても私にとって困難なことだった。とても大切な人たちを傷つけてしまうからだ。言えば完全に嫌われるし勘違いされる。それでも、組織を考えた時に大切な人たちが『自分たちで全てやる』という方向性への意志が必要だったのと、私の身体が要求される作業の過密さについてゆけなくなる前に大事をとる。この二つを守るための温かいキーワードだった。
分かるだろ?しっかり支えて、時期が来たら安心して離れていい。ちゃんと休養しなさいと。
いつも私の身体を案じてくれる方だった。そして、組織の先の先まで見据えていらした。次代の方の性格さえも見通して全てを守ると。大切な人たちに嫌われたくない。誤解されたくない。そう思う一個人の思いは些末な事だと割り切るしかない。
おそらく使うタイミングは分かるのだろう。切ない気持ちは保留にして、その日まで、精一杯支えて潔く離れよう。大切な人たちを守る意思に沿うためにも、自分のためにも。
役割を全うするために。
そして今、私は穏やかな日々を暮らしている。感謝しかない。過剰な無理とストレスで身体が大変な事になっていたが、今、それは治癒しつつある。
良い意味の引退をするなら、感情や思いに揺さぶられず、潔く引き潮のように退く。
