過ぎる感情は体に表れる

これは、発する言葉が心と脳と身体に影響を及ぼすという話

 知人が脳科学について「『脳は主語を理解しない』だから人の悪口を言ったら、大脳新皮質(新しい脳)はあの人この人、あなたを識別できるけど、古い脳は主語を理解できないので自分に言われたと勘違いする。」と話していた。

 それを聞いている内に、何か合点のゆく感覚にとらわれた。

前々から脳科学で気になっていた題材を聞いたからか、いろいろ学んだこのタイミングで聞いたからか。私の中でピースがはまるような感覚が沸き起こった。

聞きながら考えていたのは、稀に病気などを克服して生還する方がいる。その方々の心と脳と身体はどのような変化をしたのか?

その答えがここにあるような気がしたのだ。

気功や腸活や薬膳を勉強していく内に、何気なくもやもやとした1つの考えが私の中に浮かんでいた。でも、それを言葉にすることはとても難しかった。しかし、脳科学が『脳は主語を理解できない』と説いているならば、それは符合する。

怒りや哀しみや憎しみの感情、嫉妬や執着や恨みに憎悪、悪い批判や悪口、負の代名詞と言わんばかりのこういった感情。(あまり書きたくなかったので、薄くしてみた)

常に負の感情を抱いていると、身体が立ち行かなくなる現象が起きる。

薬膳的には、五情の怒(木)・喜(火)・思(土)・悲(金)・恐(水)の5分類と憂と驚を足した7つに分類されている。

に度が過ぎると肝臓・胆・目・筋肉を痛めつけ、

に度が過ぎると心臓・小腸・舌・脈を痛めつけ、

に度が過ぎると脾・胃・口・肌肉を痛めつけ、

に度が過ぎると肺・大腸・鼻・皮膚を痛めつけ、

に度が過ぎると腎・膀胱・耳・骨を痛めつけ、て弊害をもたらす。

ちょっと意外な関係性で驚く方もいるかも知れないが、とても顕著に出るから怖い。痛みや不調で気づいた時には、かなり肉体にキツイ変化が出ているから。

例えば、怒りで筋肉が弱り腰痛となったりするのは有名な話だ。最近は腰痛だけではなく胃もやられるという人が増えているらしいが、これは怒りを感じて思いを巡らしすぎているからではないだろうか。

皆さん気づいてます?

自分の言葉を一番聞いているのは、自分。

思考すらも、自分が考えとして脳内で聞いている。

さあ、冒頭で聞いた話を思い出して!

『脳は主語を理解できない。』

要するに、大脳新皮質は理性や知性の範囲で、古い脳は感情を司っていて主語が無く無意識の潜在意識の世界。

だから、全ては自分に置き換えられて受け止められるとしたら、恐ろしいこと。相手に対しての怒りや不満までもが、自分に跳ね返る。たまったもんじゃありません。


ここからは自論ですが、脳の成り立ちがそういった切り分けをするのは仕方がないことだと考えています。

profileでも書きましたが、実は人間が受精卵から人として形成されていくのに、一番最初に作られるのは「腸」。腸ができてその端と端が口と肛門になって、胃ができて、神経系の脊髄が作られてから、ができる。

この順番だからこそ、なのです。

脳と心臓が一番に出来ると思われがちですが、実は腸が始めにできるんです。それと何が関係するかというと、最初は食べ物を摂取するための消化器官が作られる。その後に腸にまとわりつくように神経系が発達して脊髄と共に伸びて脳が作られる訳ですから、そこに知性も理性もない潜在意識、無意識の本能が働く世界。だから、『主語』が無い世界。

もう一つ言うと、腸と脳はとても密接な関係。幸せ脳内物質のセロトニンのほとんどが『腸』で作られます。最初にできた原始的な器官が脳の物質を作っている。感情にもとても敏感で、ストレスを感じると下痢や便秘を繰り返したりする。

ストレスを考えた時に、人は『外界から与えられるもの。受けるもの。』と感じている方が多い様ですが、『外界から与えられた時に理性や知性で、どう良い表現で言い換え解釈するか?変換するか?』潜在意識の中に落ちた時に、自分を傷つけない方法だと思っています。

『言葉は贅沢に』

とても大切な素晴らしい方から教えて頂いた言葉ですが、まさに自分自身のために言葉を贅沢に使おうではありませんか!

辛いことは、勉強になった。

苦しいことは、自分磨きができた。

悲しいことは、その分だけ痛みを知って人に優しくなれる。

怒りには、時が解決してくれるのを待ち、怒る意味があるのか冷静になる。拘らず、自分の中に留めない。

自分を自分たらしめるものは、自分だけなのだから。そして、自身の健康も自分由来のものがかなり多いと自覚して、大変な事にならないよう、思考を良い方向に向けていきましょう!

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