高熱を出した時のブドウ

文のお題 (日替わり)
今までで一番おいしかったものは何ですか ?

子供の頃、病気がちだった私が40℃の高熱を出した時の話

幼稚園の頃、とても熱を出しやすい子供だった私。40℃の熱がなかなか下がらず、ぐったり寝ていた時に、父が「何か食べたいものはないか?」と聞いて来た。

「ブドウが食べたい・・・」

消え入りそうな声で告げたのは、葡萄だったそうだ。

それを聞いた父は、正月の麻雀仲間に電話をかけて家を飛び出していったらしい。

母は半分呆気に取られつつ、売っているはずが無いと心で思ったそうだ。

今が真冬の1月だったからだ。

昭和50年頃の日本は、まだ、季節の野菜や果物といった感覚が今よりもはっきりしていて、ビニールハウス栽培など、高級食材の扱いだった。

正月を仲良く麻雀をしたり鍋をつついて過ごす仲間と共に、朝から東京中を探し回って夜中に返って来た父。

手には、最後の八百屋で見つけたブドウの袋があった。見つけた根性も凄いが、それに付き合ってくれた仲間も心が熱い方たちで凄い。

父が見つけ出してくれたブドウを1粒口の中に入れて、その汁を飲んだ時の記憶は多分一生忘れないくらいの衝撃だった。甘味とうま味、口から喉から潤っていく。干からびた体が蘇えるような、息づいていくような衝撃に似た感覚が記憶に残っている。

母曰く、何粒か無我夢中で食べて、倒れるように寝たらしい。

そして、奇跡は起きた。

40℃の熱が、朝には37℃まで下がっていたらしい。

父や仲間の「治れ」という気持ちが凄かったのか、ブドウの持つ効能が凄かったのか、神仏が全てを見ていて、人の『思いと行動』に慈悲を下さったのか。その全てなのか。

もっぱら、父の仲間は「ブドウ半端ないな。」などと驚いていたらしいが、母は母で熱にうなされて意識が朦朧とした私がよく「ブドウが食べたい」などと言える状況が起きたものだと、驚いていた。

今、思うとあの不思議な潤っていく感覚と味は、本当に鮮明に今でも残っている。きっと、この世で一番おいしい食べ物は?と聞かれても「あの時のブドウ」と答えるに違いない。

あの時に、父と父の仲間の方が12時間も走り回って探してくれたこと、電話の繋ぎをしてくれた母に大感謝である。


その後も、熱や腸炎を起こす度に、スイカやらメロンやら調達に行ってくれている主人にも大感謝だ。不思議と腸炎が治まるので、驚きなのだが。

人は窮地に陥ると『身体を治癒するもの』を選ぶ本能があると思う。

但し、そこには人知を超えた神仏の慈悲があることも、忘れてはいけないと思う。

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