偉大な教師の決め手は何ですか ?
教師の在り方を、実習先の校長先生が説いた。この言葉はずっと私の根幹だ。

「教える事は誰でもできる。でも理解させることは難しく、誰でもできることではない。何事にも理解させることの出来る教師になってください。」
この言葉を教えてくれたのは、教育実習先の母校である中学校の校長先生だった。
2週間という短い期間中に、この校長先生から受けた教えは、私の根幹ともいえる部分に根付いている。
その校長先生曰く、
教師でなくとも『教える』ことは誰にでも出来るという。そして、40人の生徒に一様にその教えた内容を理解させることは難しく、『教師』として教壇に立つならば、『理解させることのできる教師』を目指して欲しいと説いてくれた。
誰が、何処で、何を、どんな風に、問題を抱えているか分からない。表面に出てくる問題は目につきやすいが、水面下になっている問題は、親御さんだけではなく携わった教師にも、気づく機会はあるのだからと。
それだけ、今の子供たちのいじめや家庭環境など、それぞれが抱える心の問題は根深いのだろうと思った。
「子供は過ちを犯した時に理解できる諭しをすると、同じ過ちをしないんですよ。感情論でもなく、大人の理屈でもなく。なぜやってはいけないのか?を諭すとしなくなる。だから理解をすることが大切なんです。
もちろん、教師は1人で子供たち全員をみる。一人も余すことなく。それでも日々の子供たちの変化や状況を全て把握することは出来ないかもしれない。でも、無理だ出来ないと言う前に、最善で最良の努力をしなくてはならない。
だから、毎回実習生に伝えている覚悟の話もします。
喩え、親の危篤を耳にしたとしても、恋人に振られたとしても、子供たちの前では笑顔で。誠心誠意一人一人の心と向き合って欲しいのだと。それだけの覚悟が欲しいのだと。」
善悪や道徳、自分の教科など、全てにおいて理解させることが全ての教師に課せられているが、それを遂行する難しさは途方もない。だからこその覚悟で、真摯に向き合う姿勢を問われている気がした。
「教育者は自分にこそ厳しく。全ての子に向き合い、1人も欠けることなく理解させることのできる理解者であって欲しい。」
私には、子供たちの多感な心を守ろうと説く校長先生こそ、それを実践してきた真の偉大な教師なのだと思った。
