学び始めと人生の転換、そして教育実習1

お題の「偉大な教師とは~」に「教育実習先の校長先生の言葉」を思い出しながら答えていたら、昔の記憶が鮮明に浮かんできた。結構ヘビーな記憶もあるが、少し自分を振り返ってみようと思う。


私の通っていた短大は10月に教育実習という予定を組み込んでいた。

中学校の母校では、体育祭のある6月に実習生を受け入れているため、受験を前にした10月の文化祭に実習生を受け入れる事はないのだが。

特別に母校という事と関東圏の事情を考慮して受け入れてくれたのが、近隣の学校からも素晴らしい校長と言われていたS校長先生だった。そして、受け入れに関して、母校の教員と近くの小学校の校長(当時の担任だった先生)までもが知るところとなった。

それには訳がある。

学ぶことの意義を見出せず、なんとなく中学時代を送っていた私。

中学3年の12月まで、『勉強』の楽しさを知る機会が無く、なぜ勉強しなくてはならないのか?と、自身に関わるその意義までものんびり放置していた状態で、当然成績は下の下。

そんな私が、高校・短大と上位の成績を収めて、母校に教育実習生として帰って来たので、当時の私を知る中学校の先生方や、小学校の担任までもが私の実習に対して興味を持っていた。

一体、どうしたらそんなにやる気に満ち溢れているのかと。

これには高校受験までの3ケ月間のカラクリがある。別に不正とかそういうものではない。

その当時の生徒のやる気・助け合い・連携・協力・暇つぶしという名の技量試し等があった。

『先生は壁の花で良い。生徒による生徒のための生徒会。自分たちでできる事は全てする。』判子だけ押してくれれば良いです。ぐらいの勢いだった。当然、他の生徒も触発される。

そしてその当時を知る人間だった私は、教育実習で現中学の新任先生方に当時の質問攻めにあうのだが。


以前、『周囲の助けで克服させてもらいまいした』に書いた、中学二年のレクリエーションの山登りで、女性担任に山に置き去りにされたことが、クラス間を飛び越えて助け合う始まりだった。

しかも残念な事に、その女性担任は初めての三年生受け持ち時に、クラスに私を持つと主張したらしい。彼女の中では問題児扱いだったのだろう。他のベテラン教師が反対したが、ヒステリックになった彼女を宥めたのはS校長先生だったらしい。

「学校は学びの場。受験生を受け持つ大変さと、あなたが言っている生徒は問題児ではなく、あなたによってトラウマを植え付けられた生徒です。その生徒としっかり向き合って、あなた自身が成長しなさい」と。

教育実習中に当時の話を聞いた私。

全くもって、ヒステリックになっている時点でおかしい。

未熟な私は校長の懐の深い考えを、汲み取ることはできなかった。それだけ、教育者を育てるということの大切さと、生徒と向き合う大切さも、先生を育てる視点では必要だということは分かる。けれど、生徒からしたら、絶望しかない。

校長は何を思って?

謎だった。でも、その答えは実習中に分かることに。


今思うと、本当に懐が深く、私の心を大切にしてくれていたのだと分かった。

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