笑い話や思い出に残る愛犬との日々。明日の9月6日は命日だから残したい。

愛犬は、中型犬の甲斐犬の女の子。
成犬になって、彼女は私たちの話すことをほぼ理解していた。
甲斐犬はとても従順でお利口さん。温和で博愛主義で平和主義。
そして、犬なのに信心深い子だった。
何某かやらかした時は、自分で反省までしちゃうお茶目なところもある。ある日、洗濯を干し終わって一階に降りると、愛犬が窓の前でお座りをして下を向いている。
不思議に思って、風で揺れるカーテンの近くまで来ると、私の前に塞ぐように座って頭を足にくっつけるではないか。これは何かやらかした?と思ってカーテンをめくると、そこに網戸は無かった。
井戸のポンプに寄りかかるように倒れている網戸。おそらく、愛犬が手をついてしまった拍子に倒れたのだろう。
「良く外へ出なかったねぇ。」
しゃがみこんで撫でてやると、オデコをくっつけてくる。これは彼女の反省の仕草だ。網戸を直して部屋に戻ると、いつもの彼女に戻っていた。
繊細な子。優しい子。信心深い子。
愛犬が6歳の時に、日課の朝のリフレマッサージをしていてシコリを見つけた。動物病院での検査結果で急遽、腫瘍摘出と避妊手術をするように言われ手術をした。
心配だった私たちは、近くのお寺に無事に手術が終わるようにお参りをした。そのお陰で、回復も早く傷が塞がってくれたので、散歩に行けれるようになった。真っ先に行ったのは、お寺の境内にある観音様だった。
「手術が上手くいくようにお願いしたんだよ。だからお礼参りをしようね。」
愛犬に言い聞かせると、観音様の石畳の前でちょこんと座って見上げている。理解できてるかは分からなかったが、その日から愛犬は散歩の最後に立ち寄って、石畳の上に座るようになった。
そしてそれは、夏の暑い夕暮れ時も、雨の日も、雪の日も、天に召される前日まで続いた。そのお寺の女性のご住職は「この子は自分の意志で来ている。」と仰っていたので、寝たきりになった愛犬を、カートに乗せて散歩した帰りには必ずお参りするようにした。
愛犬との旅行や楽しい日々を過ごしながら、永遠にこの日々が続いて欲しいと思うくらいに、私たちにとって愛犬はかけがえのない存在となっていた。
だから愛犬の足が曲げるのに困難で、伏せができなくなっていても、前足を伸ばしたまま座れるように大きな座椅子ソファーに凭れさせたりした。
歩けなくなれば、クッションを何個か入れたカートで出かけ、川っぺりの道で愛犬を抱いたまま足だけ地面につけるように、スクワットの低姿勢で横に進んで『歩いている』そんな感覚を彼女に味わってほしくて50mほど往復することをした。
腕も足もパンパンになってへとへとになるが、愛犬が散歩している気分になってくれれば良いと、主人も私も頑張った。そんな風景を配達の方々が目にされていたので、何かと時間の融通をきかせてくれた。
散歩中の方や犬友の方々、大勢のすれ違う方から「頑張れ!」と応援してもらった。
中には「介護大変でしょう」と心配してくれた方いたが、実は私たちは『介護』というような気持で愛犬をみてはいなかった。
甲斐犬は2カ月ごろには、自我がしっかり芽生えて自立してしまうので手がかからない。だから、私たちのところに来た彼女は、とても手のかからない子だった。
それでなのか、私たちにとって『子犬の頃のお世話』のような感じだった。オシッコを外でしたがる愛犬が尿意を教えてくれるので、抱っこをして外の排水まで連れていく。間に合わず足にかかったりしても、全然嫌ではなかった。
子犬の頃の子育てをさせてもらっている様で、どんな時間も尊く、その時間を慈しんだ。
だから、
15歳になる1カ月前に高熱をだして明け方に逝ってしまうとは思いもしなかった。
夜中に駆け込んだ救急センターから明け方連絡がきた時、私は観音様までの道を泣きじゃくりながら走った。彼女が見上げていたように、石畳の上に立って見上げ、本当に逝ってしまったのだと。直ぐに戻ると、主人が涙目で「迎えにいこう。」と車を用意していた。
救急センターに入ると、装置がついたまま救命措置をされている愛犬がいた。触るとまだ温かいのに。装置を外したら血流が止まりますと告げられたが、病魔に侵された肉体の死は止められない。
「耳は最後まで意識とつながってるんだって。ありがとうをたくさん伝えよう」
私たちはありったけの『ありがとう』を伝えた。
どれだけ幸せだったか、どれほどの愛をもらったか、彼女の存在がどれほど救いとなり、日常に彩りを添えてくれたか。尊い命を、過ごした日々を忘れないよと。
装置を外され、エンバーミング処置をされて戻った私たちは、愛犬が寝れる寝床を作った。まだ9月だったので、部屋を冷やしてアイスノンなどで身体を冷やす。
土日に送ろうと思っていたので、ドライアイスや花の手配をした。木曜だったので、主人はそのまま会社に行ったが、辛かったのだろうと思う。
お寺からドライアイス屋さんを教えて頂き、毎日買い付けに行くことになったが、残暑の暑さでどうにも早く気化してしまうことに初日で気付いた。
ドライアイスの気化を防ぐには、密閉して適度な通気口を保持するしかない。家にある物で適当な大きさの物を思い付き、愛犬の寝床ごと大きな布団圧縮袋にいれて密閉する。時間時間で袋の中の空気を抜くのだが、部屋の換気も一緒にやった。
帰って来た主人が、何とも言えない表情だったが、彼も化学を知っているので理解をしてもらえた。
土曜日になって、お寺に埋葬までの事の運びを教えてもらうと、人間と同じ法要の仕方。初七日から始まって十三佛について教えて頂けた。
その時、担当する仏さまがどのような誓願で担当されているのかを勉強して知ってみてくださいと薦められて、愛犬の供養をするにあたって、最初の担当、お不動様の行を読んでみた。
そして、火葬か土葬か迷っていると、近所の方々が察知してかそのまま埋めてやったら?と理解を示してくれている。とても有難かった。
迷惑をかけるわけにはいかないので、臭いや衛生面などを考慮して、どのくらいまで掘れば安全なのかを調べた。80cm以上掘らなければならない。
1日かけて120cm以上掘り進めた。花屋で花をたくさん買って敷き詰めて、シーツに包んで私たちの匂いのするものを一緒に入れて、愛犬を寝かせた。
全てが終わり、家に入ると、静まり返った我が家に虚しさを感じ、涙があふれ出た。
かけがえのないものを失った喪失感。
いつかは訪れると頭で分かっていても、心が追いつかない。そして後悔が始まってしまう。
私は、ちゃんとやれていたのだろうか?と。
愛犬との日々を思い出す度に、心が辛くなってしまった。
そんなある日、朝、愛犬にドックフードや生前食べていたものをお供えしていた時のこと。


少しでも肝臓が良くなるようにと飲ませていた、動物用の舞茸エキスを3滴たらした物をピンクの器に入れてお供えしていたのですが。もちろん、丸く同じところに垂らすので、写真の様にはならない筈なのに。
泡が消えて、ちゃんとしたハート型になった時、心が温かくなって、愛犬の心を受け取った気がして、ただただ泣きました。
その現象が現れた日が、10月26日。五十七日の地蔵菩薩さまの日だったんです。
この日に、この不思議な現象をみなければ、私の心は救われなかったと思います。この写真はびっくりして主人に送ったものですが、主人も驚いていました。
帰って来てから、二人で「私たちの気持ちは、伝わってるし、愛犬もまたアピールしてくれている!」と、泣き笑いした日でした。
