人付き合いというものは得てして、いろいろな場面で沸き起こる。ご近所付き合い、会社、地域のコミュニティ、自分が席を置く集団の中で発生してくるもの。
多くの方が『一対多』で付き合いつつ、そんな中でも、この方なら!と接点を結んでいる。何がそうさせるのか、『良い隣人とは?』と聞かれて真っ先に思いつくのが誠実な人。
仲が良くなれば、いろいろな個人的な情報や相談を話すことになるかもしれない。相手がどんな相手であるかは、付き合っていろいろな場面でどう対応していくかによって推し量れる。
誠実な人であれば、自分本位な思惑で裏切らないだろうし、貶められることもない。悪口や噂話もしないし、責任転嫁もしないだろう。
ただ、物事に誠実に対応して、その結果、関係性の見直しをしないと両者にとって悪影響しか生まれないと判断して距離を置く時もある。それは裏切りではなく、温かい優しさだ。
関係性を切るのではなく、置く。そこに愛情や見えない繋がりの何かが有るか無いかは、それまでの関係性の中で、感じ取れる筈だ。
もし、自分が与えるだけで、誠実さを感じられず何も受けていないのならば、関係性が真っ新になった状況で考え直してみれば良いだけ。
その人は、本当に良い隣人ですか?と。
大体の人は、良き隣人であろうとする。そうありたい、とも考えるだろう。優しく与え続けるような人もいるだろう。しかし、不誠実な人間は、自分だけの利益や幸せを考えるので、仮面が剥がれてしまう。
けれど、人を見極めることは難しい。
ましてや、自分が良き隣人でいられるか?ということも、難しい。その判断は、他者が自分の行いをみて判断するからだ。
自分は相手がしてくれたことに対して、不義理をしていないか?ずっと助けられていたのに、相手が助けを求めてきた時に、何かに理由を付けて逃げなかったか?
誠実な対応、そこには曖昧なラインがあり、グレーゾーンが存在する。
もし、いつも人に助けを求め、相手が助けを求めた時に返していないのなら、それは誠実とはかけ離れた、部分に収まる。
軽視して良い人間などいない。恩を仇で返したその先にある末路は自分で拾うことになる。
私たちが人付き合いで、学ばなければならないのは、良き隣人としての自分の姿勢(どうあるか)だろうと思う。
そう考えると、このお題は、とても奥が深い。
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