私の生まれ育った町は、町内会=地元の大地主さんの持ち回りで行われていたのと、ジュニアボーイスカウトとも連携していたので、活動は幅広かったです。
祭りも正月と秋に行い、和紙に絵を描いて明かりをつけない灯篭のような飾りを神輿の通る道に配置したり、終着場所には芋煮や蒸かしたジャガイモ、トウモロコシ、お菓子の詰め合わせなどが振舞われていた。冬は、つきたてのお餅でした。
中でも凄かったのは、新潟の米農家さんとの交流で、子供たちが入れ替わってその地域のいろいろな事を学んで夏休みの思い出にしていたこと。
小学校1年になったばかりの私は参加資格を得て、交流先の新潟へと行きました。
子供会から貰った手作りのガイドブックをバスの中で読んでみると、1日目と5日目は移動で使い、2日目、3日目を田畑で田植えと書いてあったので、田植え自体をしらないわけではなかったけど、とても驚きました。4日目からキャンプ場でキャンプを行う予定が書いてあり、何かを作るようなことが書かれていましたが、田植えに話題が集中していました。
周囲の反応も同じで、田植え機ではなかったけど新沼謙治さんがセキトラクタの宣伝で乗っていたような器械を思い出し、どうやって植えるのか初参加の子ははしゃいでいました。
🤣😂😊😊😊😂🤣
2日目の日に、ジャージ持参!と書かれていたため、全員がジャージ姿で水田の周りに集まり、泥水のような水たまり❓を見て固まっていました。
「これから、入るよ~。靴と靴下脱いで、タオル首にかけて入ってな。」
その声に、「裸足?!」と素っ頓狂な声を上げた男の子だったが、田んぼに素足で入ることなんて滅多にないために、私たちは大はしゃぎ。電話通達で『着替えは多めに入れて』と言われていたのを、泥んこになった男の子を見て納得。
田植え自体は、一列に並んで一斉に植えていく。常に真っすぐになるようにあぜ道につけた目印を見て下がっていくのだが、『真っすぐ後ろに下がる』という作業はとても難しいようだった。
キャンプ場でも、新潟での出来事は新鮮だった。食べる為の道具作りから魚釣り、カレーの調理などをこなすことになった。
竹を切って、コップと箸を作る。その後、魚を釣り、カレー作りを楽しむ。最後はキャンプファイヤーで歌ったりして終わった。
小学一年生の夏にしては、こんな貴重な経験は今までになく、初めての遠出と田植え地域交流を果たした満足感で夏休みの絵日記には、その日々が色鮮やかに残された。
