孤独と達観と笑顔

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文のお題 (日替わり)
とても長生きするという概念についてどう思いますか ?

寿命が大幅に長くなった近年。短いなら短いなりに刹那に生きる生き様があったと思う。それは時代背景がそういった生き方をさせていたのかも知れないが。

「長生きするという概念をどう思うか?」そう聞かれると、長生きが出来る環境に生まれているので、自分の心や身体をどのようにメンテナンスしていくかが1つの課題だと思う。

医療・科学・化学・技術などの進歩で、臓器培養で移植や再生医術やアンチエイジングなどで、昔では考えられなかった技術によって治療の幅が広がっている。

このまま技術が飛躍し続ければ、100歳で子供を産んで育てる日が来るのではないか?と思えてしまう。ただ、技術がどれだけ素晴らしくなっても、やはり人間の身体は全員が全員、そういった治療ができる人と出来ない人に分かれてしまうのではないかと。

金銭的な問題もあるだろうけど、身体的な問題で進歩した医術や薬品や方法に適合しなければ、望んでも叶わないこともあると思う。

今でさえも、長生きすることは、子孫である親族には喜ばしいことでも、当事者にとっては嬉しい反面、親しい人との別れも多くなる。

たまにご長寿の方が出演する番組をみていると、そういった死を通しての『孤独』を自然体で受け入れている方が多い気がする。そういった方は表情が朗らかだ。まさに『達観』という言葉が当てはまるような、それでいて全てを享受しているような穏やかさを感じる。

おそらく、長生きしたその方の周りにいる方も、当人も、笑顔になるような環境がととのっているのだろうと思った。

以前、尊敬する方から、「お年寄りが良い笑顔ができる環境を作れるように、周囲が気を配れたら、必ず自分にとって最高の結果が返ってくる。」と教えて頂いた。

そして、教育実習先の校長先生にも言われたが、「常に自身が良い笑顔でいられるように心がけてください。他者に対して最高の笑顔を以って安心を与えてください。」と言われた。

どちらも大切な事だと思う。

長生きするにしても、長生きする方の傍にいるにしても、互いが笑顔でいられるよう、心がけたい。

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