状況によって

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文のお題 (日替わり)
自分の目標を妨げることに対して、どれくらいの頻度で「ノー」と言っていますか ?

公私共に自分の目標を妨げるような相手には、毅然と「ノー」と伝えます。

例えば、会社の上司であれば、今の状況を話した上で支障をきたらすことを伝えます。仕事上の目標妨害に成り得ることは、成果の出来栄えや時間的配分に直接関与するからです。ここまで話して、それでも妨害に値する他の仕事、もしくは、丸投げ仕事や私用をすることになる場合は、責任の所在をしっかりとさせた書面が残るように、メールでやり取りするか、文書を作って署名してもらいます。

ここまで提示して、自分の仕事を丸投げしてくる上司は、その上の上司に相談して判断を仰いだ上(もちろん、有耶無耶にさせない残る形式でやり取りで周知してもらいます)で作業に取り掛かります。

公私共に、個人の時間の搾取は『罪』になるからです。いくら会社であっても、上司であっても、自分のすべき仕事や判断を部下に丸投げすることを許していたら、自分が潰されるか、目標の成果をあげられず、チームに迷惑がかかるからです。

プライベートの間柄や、何かに所属した団体でも同じです。多いのが『お願い事』でしょうか。このお願い事、もし、膨大な時間を束縛したり、自分の社会的役割を無視したような時間の使い方をしなければならない場合、物凄く質が悪いです。

私はこの手の『お願い』で、心身を病んでその治療に長い時間を費やしました。ただ一人だけ、私が割いた時間の大切さを理解し、結果を出した内容を心から感謝し、私が病気になっても見放さず素晴らしい交流を果たしてくれた方がいましたが、他の方は都合の良い時の頼み事のように縁がなくなりました。

それ以後、私は全てに応えることを辞めました。

吟味し、受けるか受けないかは、私が受けることによってその人の為にならないのなら、断固受けないことにしました。また、相手をコマのように都合の良い時だけ自分の利益の為に使おうとする人からのお願い事も受けません。どんな理由をつけようとも、ダメな時は触手が動かない。やろうとする気持ちが動かない。

なぜなら、私の人生においての目標の妨げになる出来事は、受けずに堅実に進む事が最善だとこれまでの経験で学んだからです。

根本的に自分を大切にする生き方が基本にないと、人は良くも悪くも自己愛の強すぎる人間に『自身の時間』を搾取されてしまうので、時間を割く場合は道徳的に理論的に道理をわきまえてない相手や、その時点で物理的に出来ない場合には「ノー」と伝えます。

自分の許容範囲を見極めるのも、相手に対しての礼儀かなと考えているので、対人関係においての『お願い事』に関しては、無理のない付き合いを心がけたいものです。

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