この話は20年ほど前にイタリアンレストランのシェフに料理を習っていた時のこと。
その当時、パワハラ被害で鬱状態になって、自分の存在価値や自己肯定感が無くなっていた状態の時に、見かねた主人が仲良しのシェフに私のことを話したことから、丁度料理教室をするので参加しませんかと誘われた教室でした。
特定の人に対してのみ対人恐怖症になる私が、このままでいると人と会うことが怖くなるのではないかと周囲が心配して、今と違う場を勧めてくれたのです。
そして、そこで学んだ根本的な視点が、鬱を脱却するスイッチの元となりました。
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いろいろな料理教室を見たことはありましたが、シェフの教室はとても『気骨』というか、徹底的に物との向き合い方を習いました。こう書くと、熱血で情熱が先走る内容に感じられますが、物質の根本を観る訓練のような感じでした。
イタリア料理の食材で良く使われる『ソフリット』。これはオリーブ油にニンニク・玉ねぎ・人参・セロリのみじん切りをじっくり炒めて旨味を引き出す、作り置き可能なアイテムです。隠し味的に使ったり、深みを出すチョイ足しに使ったり、便利な食べる調味料的な物。
そのソフリットを作るにあたって、全て包丁でみじん切りしていくのですが、玉ねぎのみじん切りに彼の真髄を垣間見ました。
「玉ねぎも生きてます。しっかり研いだ包丁で切ること。半分に切って根っこの芯の部分は取らない様に茶色の部分だけをそぎ切りで切り落とし、芯で繋がるようにしておいてから、玉ねぎを寝かして、滑り止めの切り込みを入れて玉ねぎの上の部分を切り落としてから、切り落とさない様に少し残してスライスしていきます。」
そう言いながら自分の姿勢を、玉ねぎに対して垂直に刃が入っていくように立ち、背筋を伸ばしたまま切れるような高さまで足を開いて、安定して切るように言われました。
「玉ねぎの向きを切り落とした方を右にして、包丁をまな板と平行に構えて玉ねぎに2~3段の切り込みを入れるのですが、これは無理せずに入るところまでで結構です。その後、スライスしていくと、みじん切りが出来上がります。水平方向への切り込みが途中な場合は、スライスして切り込みが無いと思った所で、もう一回やれば細かくなります。」
文字で書いて分かりずらいかもしれないですが、この後、シェフは刻んだ玉ねぎを私たちの顔の前まで持ってきました。誰もが「うわっ」とか「涙がでてしまいます!」と避けようとしましたが、誰も泣く人はいませんでした。
「僕は玉ねぎに真っすぐ向き合った。だから、彼らもそれに応えてくれたんです。切る姿勢と包丁の手入れと向き合う気持ちがしっかりできれば、泣きません。」
マジですか!!!😮
驚きでした。そして、それは教室で出来た人や、家に帰って復習する人にとって驚くべき出来事だったのです。それだけではありません、ニンニクや玉ねぎの炒め方に対しても、シェフは凄かったのです。
「オリーブ油は直ぐに高温になるので、みじん切りしたニンニクはオリーブ油と一緒に入れて馴染ませてから火を点けます。色と香りに変化があるのを見逃さずに、良い匂いがして火が通った感じから少し色がついてきたら玉ねぎを入れます。火は弱火から中火。玉ねぎの変化は一度汗をかかせて色が黄色の深い感じの色になったら次のセロリ、ニンジンを入れて順に炒めてください。」
ニンニクの色と香りの変で、物質の見極めをしていくことがとても重要だと教えてくれました。
玉ねぎに対しても同様に、炒めながら香りや色味だけではなく、玉ねぎから汗をかくような水分が出てテカってくると色味が、生の白い色から火が入った透明のような感じになり、水分が一度出て玉ねぎに戻ると黄色のような色から黄緑のような何とも言えない色味になります。
一瞬の色味の変化は、ボーッとしていると見過ごしてしまいます。そして、玉ねぎやニンジンやセロリを入れた時に、火を中火にして全体に馴染ませてから弱火にすると、早く火が通ります。これは全体の炒めている温度が材料を入れて下がってしまうので、少し強くして温度を合わせる方法です。
正に、火を使うということ。やらなくても良いかもしれませんが、プロの料理人は『火加減を操る』という事です。クッキング番組などで、材料を入れた時に火を大きくしている場面は良く見られます。そして話ながら中身を確認して弱火にしたりする。今度、じっくり見てみてください。
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単なる料理教室の一部を書いただけですが、シェフが一貫して言っていたのは、
物事はどんな場面でも、視点を変えてみれば全て繋がって同じだということ。一つ一つを切り離して理解するからAからBになった時に対応できないと。逆に全ての材料の個性を考えずに同じ土俵で考えてしまうと、混沌として訳が分からなってしまうと。
全ての出来事は、『今現在』という部分で混在しているけれど、問題が幾つも重なったり一緒に起こったりしているように見えるだけで、人がカレーライスやオムライスを食べながら具材を認識するのと同じように、一つ一つの問題点や問題定義に焦らずじっくり意識を向けて対処すれば、人生の中にある雑多なエグミを取り除くことができるのだと、そう教えられたような内容でした。
ざっくばらんに言えば、視点を何処におくか?そして、その視点は幾つ客観的に持つことが出来るのかが、感情的にならずに想定外の対処に繋がるということです。
