『克服した』というより、『克服させてもらった』という方がしっくりくる思い出です。
幼少期に山で車の事故に遭い、斜面恐怖症になりました。
事故といっても、落ち葉の降り積もった慣れない道路を走っていたつもりが、15mほどある崖に車ごと落ちて木1本に支えられて助かった思い出。車が渓谷の斜面を落ちている時も、落ち葉がリアガラスにハラハラと落ちて「きれい・・・」と言葉を発したくらいの記憶。その後、物凄い衝撃がきたことは覚えておらず、ダムの放水を告げるサイレンが鳴り響いていたことと、救助隊の人に抱えられて最初に救助されたことくらいしか覚えていませんでした。
後日、親が聞いた話では、ダム放流の15分前でストップが入り救助されたようで、車が木に支えられなければ、川に落ちて放流された水に流されていたかもしれないという事実でした。
私自身が斜面恐怖症に気がつくよりも、周りが先に気がつきました。ちょっとした高いところから飛び降りて遊んでいたり、木登りをしていたのに、全くしなくなったからです。
そして、私も自分の異変に気がついたのは、小学校の滑り台のある小高い山から降りれなくなった時でした。それから、何をしたら怖いのか?その時の小学校の担任の先生や保険医の方に尋ねられるうちに、朝礼台の高さからも飛び降りれない事に気がついたのです。
小学校では周囲の理解で状況を把握し、5年生の林間学校でも無理をすることはありませんでした。
しかし、中学校のレクリエーションの山登りで、私は恐怖症と無理矢理向き合うことになったのです。その時の女性の担任が「私が一緒にいてあげるから頑張ろう」という言葉を信じて登った結果、少しの斜面でパニックになる私にここでは書けないような暴言と彼女の今までの鬱憤などを吐き、心配するクラスメートを引き離して、クラスメートを連れて降りて行ってしまったのです。
山の斜面に降りれないまま蹲る私の異変を感じ取った、隣のクラスの子と先生が手を差し伸べてくれました。リュックを男の子が持ってくれ、体格の良い子が支えとなって少しずつ降りてくれるので、難所まで行きつくことができました。クラスメートも一回は降りたものの、難所と呼ばれる場所で待っていてくれました。
難所をみて愕然とした私。砂利と砂が混ざっているのか、するすると滑り降りる斜面が5mほど続いています。その時、クラスメートが斜面に手をつないで手すりを作ってくれました。
涙でぐちゃぐちゃでしたが、友達の手の温かさと「大丈夫だよ」という温かい言葉と笑顔に、心から感謝しました。難所は超えたものの、途中でド派手に滑って転んだ私の横にスライディングしてきた子が「ド派手なスライディングお見事!」と笑いに変えてくれたので、恐怖はいつしか無くなり、少しの高さなら降りれるようになっていました。
根気よく付き合ってくれた隣のクラスの先生や生徒たち、壁となって危なくないよと励ましてくれたクラスメートたち。皆さんの支えで、斜面恐怖症を少し克服できた私は、次の年のレクリエーションで自分の状況を説明し、友達と協力しあってしっかりとリベンジを果たし斜面恐怖症を無くすことができました。

はじめまして。克服出来て良かったですね。理解ある小学校の先生、中学の先生と同級生。それがなかったらどうなっていたのでしょう。中学のレクレーションのところは読んでいてドキドキしました。恐怖心がこちらまで伝わってきました。九死に一生の体験から中学校で克服出来たのは奇跡みたいにも感じました。
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初めまして、saitouwatatenさん。
コメント、ありがとうございます。
このお題を書くか書かないか迷っていたのですが、コメント読ませて頂いて書いて良かったなと思えました。
次のクラスが来るまで、ちっちゃな岩の上でただただ泣いているだけだったので、その後の周りの皆さんの温かさが心に沁みました。
本当は担任のやったことは教育者としてはやってはいけないことだけど、今なら彼女も目一杯だったのだと分かります。
そして、辛くはあったけど、その試練があったからその後の学生活動の登山などで困ることは無かったのだと。
今だったらいえます。あの時のことは気にしないで欲しいと。
saitouwatatenさんが仰るように、九死に一生を得た時の記憶も山で全部思い出したので、それを克服できたことは私にとって奇跡です。
だから、あの出来事の全てひっくるめて、誰が欠けても今の私は無かったので、全員に「ありがとう!お陰で克服できました!」と伝えたいです。
saitouwatatenさんのコメントで自分の心に再確認できました。本当に、本当に、感謝します。ありがとうございました。
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